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福岡探訪

 13, 2012 12:50
千春のお父さんが「おぼっちゃま」と言われていた、幼少のころを過ごした福岡県久山町。

福岡市の東に位置します久山町には、沢山の由緒ある神社仏閣があります。

若宮八幡宮、伊野天照皇大神宮、白山神社、斎宮(いつきのみや)、乙宮神社(おとぐうじんじゃ)、若八幡宮、須賀神社、などがあります。
その中で、私一番のお薦めが「伊野天照皇大神宮」です。

千春の常連客の「平蔵」が、愛してやまない場所でもあります。


伊野天照皇大神宮(通称伊野神社)は九州の伊勢と呼ばれ、神殿も伊勢神宮を模して築造されました。
近くには、猪野川が流れ、夏には涼を求めて多くの人が訪れる、毎年春には大祭が催され、剣道や柔道の奉納試合や縁日の出店で賑わいます。
境内には町指定文化財の欅があります。

参道入口
神宮


境内
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古宮跡
古宮跡


久山町の案内ページによると

社伝によれば、足利時代の末、都で大神の祭祀を司っていた豊丹生佐渡守有時が、座列争いの罪で豊前国彦山(英彦山)の麓に流されたとき、大神の御神体をも豊前に移した。有時の子兵庫大夫は神のお告げをうけて、御神体を伊野(猪野)に移し、宮居を建てて奉仕したことに始まるという。
 天正14年(1586)立花城攻略に当たった島津軍は、山田の出城を焼き払い、伊野に乱入して住民の財を掠奪するなどの狼藉を働いた。兵庫大夫は、御神体を竃門山にかくした。薩摩兵はこれを奪って薩摩に持ち去ろうとしたが、途中で神の祟りを恐れて豊後国柞原八幡宮に納めた。その後、柞原の里司(宮司)に、伊野の里に帰すべしとの大神の託宣があり、柞原の司はその旨を伊野に知らせたので、兵庫大夫は、御神体を再び伊野に迎え、以前のとおりお祀りすることができるようになったと伝えられている。

 戦乱の世においても、大神宮は武将たちに信仰され、立花城主戸次鑑連(道雪)は神殿建造のため寄進をし、名嶋城主小早川隆景も寄進を怠らなかった。
 慶長5年(1600)、黒田長政が新しい筑前国主として入国すると、黒田家も代々皇大神宮を崇敬し、その庇護によってまず、寛文元年(1661)に社殿が造営された。延宝5年(1677)黒田家三代藩主光之(当時50歳)は、別所に社殿を造営して、大神宮を遷移することにした。造営に際して光之は、神主豊丹生信重と、工匠都料工藤太夫清重を伊勢神宮に派遣して、神宮格式による造営の奥技を習得させ、本殿から鳥居にいたるまで、造営調度すべて伊勢神宮に模して築造し、4月21日に遷宮した。



喧騒を忘れさせてくれる場所が、そこには有ります。
一度お出掛けされませんか?


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